緊縮財政が続くと財政破綻(ハイパーインフレ)になる①

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私は、正直に言うと一つの恐怖を抱えています。

MMT派は、国債を発行して財政破綻することはないと言い続けてきました。

逆に緊縮財政、つまり国債の発行を渋るとそれが原因で財政破綻することになるだろう、と。

しかし、いざ緊縮財政が原因で財政破綻したら、それを積極財政をしたからだとMMTのせいにされてしまうのではないか?

ということです。仮に日本が積極財政に転じていなくても、そう吹き込まれた多くの人によってです。

そうなるには、緊縮財政が続いてデフォルトなりハイパーインフレなりにならなければいけないのですが。

なぜ、緊縮財政が続くと財政破綻、ここではハイパーインフレになるのでしょうか?

お金の担保とは何か?

その話をするために、お金の価値はどのようにして決まるのかをここで書いていきましょう。

今の経済学には大まかに分けて3つの考え方があります。私が納得しているのは、3つ目の最後の考え方です。

ちなみに、この最後の考え方は経済学の少数派です。

商品貨幣論

まず、第1になりますが商品貨幣論です。

これは、聞いたことのある人も多いと思いますが、お金とは現物であるという考え方です。

❝昔々、あるところに野菜を生産する若者がいて、肉を食べたいと思った。友達に肉を生産する男がいた。

その若者は、肉を生産できる友人と野菜を交換し始めた。しかし、野菜は腐ってしまいやすいため、その野菜とは別の腐らない何かを野菜の代わりに使い始めた。

それが貨幣となった。❞

これが、商品貨幣論です。

つまり、貨幣とは何かの資源なり生産物の代替品なのです。

最近まで、金本位制として貨幣は金が担保となってると考えられてました。

信用貨幣論―信用型

そして第2の考え方ですが、信用貨幣論になります。

ただ信用貨幣論には2つあり、その最初の1つになるわけです。私は、これを信用貨幣論の信用型と勝手に名前をつけています。

今の経済学で主流の考えがこれに当たります。

まず、貨幣の成り立ちですが、

❝400年くらい前、銀行というのがイギリスに誕生した。当時の銀行は金細工師の集まりで、今のような複雑なシステムはなくただの金庫だった。

金庫に人が、金貨を預けに来る。その預かり証を、その人はもらう。1万円の価値ある金貨を預けると、1万円の預かり証を貰った。

その預かり証を、一旦わざわざ銀行に戻って金貨に交換しなくても、そのままお店とかに行って使えば1万円の品物と交換できるようと認知された。

ある時、銀行に誰も金貨を取りに来ないことに気がついた。そこで、銀行家は自分たちが預かっている量の金に応じて、誰も取りに来ないのを良いことに預かり証を発行し始めた。

銀行が10万円分の金を保有していたとしたら、10万円分の預かり証を発行して返して貰える信用のある人に貸し出した。この時に利子がついていた。

ある時、銀行は別に自分が保有している金の量以上の預かり証を発行しても問題はないのではないか、と考えた。

誰も金を取りに来ないし、流通している商品を預かり証で直接取引しているのだから。❞

これが、貨幣の始まりです。

この場合の担保は何だったのでしょう?

確かに金本位制で、お金を銀行に持っていけば同額の金貨と交換できたわけです。

ただ、金貨と交換してくる人はごく少数でした。貨幣の流通量は金をこの時点で上回っていた。だから形式的には金がお金の担保だったけど、否定されるようになりました。

では、この場合の貨幣は何が担保になっているかと言えば、一言で言うと”信用”です。

例えば、1万円あれば買う人がその貨幣に1万円の価値があると信じているから、それを渡して商品を受け取るわけです。

また売る側も1万円の価値があると信じているから、貨幣と引き換えに商品を渡すわけです。

つまるところ、1万円に1万円の価値があるのは人々がそう信じているから、100ドルに100ドルの価値があるのはそう信じているからです。

言ってしまえば、私たちは日本円教なり米ドル教の教徒であるから、その信心が価値を生み出しているというわけです。

ちなみに、これは現在の経済学の主流の考えです。

よく新聞などで、“確かに政府に債務の返済の義務はない。しかし、債務が多額の政府は貨幣の信用を失うから、それが財政破綻につながる”という記事がでます。

これはつまり、1000兆円以上の国家の債務に政府は返済義務を持たないが、1000兆円も借金がある政府の貨幣は信用を失うということです。

そうした新聞記事は、主流派経済学の影響を受けているわけです。

簡単に言うと、日本円教の信徒の数が減っていって日本円に箔もつかなくなり、信仰も失われていくという事です。

貨幣の価値とは集団心理の産物である、ということです。

信用貨幣論―生産能力型

最後の第3の考え方なんですが、これは貨幣の担保とはその貨幣が流通している経済圏の生産能力、つまり商品やサービスの総量である、という考えです。

つまり、1万円なら1万円で、レストランで食事をしたりスマホとかを買えます。

その食事やスマートフォンを売買するサービスひとつひとつがトータル的に、貨幣の担保になっているわけです。

私は、これを信用貨幣論の生産能力型と勝手に名付けました。

つまり、例えるとこうなります。

ある円が通用する経済圏があって、そこではたこ焼き屋が1店あるとしましょう。

商品貨幣論では、そこでの1万円は金なり現物と交換できる。

信用貨幣論の信用型は、その1万円は人々が1万円に1万円の価値があると信じているから、その心理的な安心が1万円の担保となる。

信用貨幣論の生産能力型は、そのたこ焼き屋がたこ焼きを生産して売る能力が1万円の価値の担保となっている。

ちなみに、たこ焼きの店舗が1店から2店に増えれば、当然ながらお金の価値は上がります。

また、たこ焼きの種類が増えたり、たこ焼きの量や質が増えてもお金の価値は上がるのです。

8個入りのたこ焼きが10個入りになったり、ミシュラン3つ星のたこ焼き屋になったりなどです。

なので、ちょっと長くなりましたが、緊縮財政をすると政府が経済に投資しませんから、生産能力が減っていきます。

さっきとは逆に2店舗あったたこ焼き屋が1店舗に減るようなことになるわけです。

今日は、長くなりましたのでこの辺にします。

いつも、読んでいただいてありがとうございます。

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