“政府の積極財政による経済成長”は“価値観”?

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前回、政府の介入がない資本主義はゼロサムゲームと書きました。

確かに民間経済はお金を発行して増やせない以上、それだけだとお金の取り合いになります。となると、誰かの収入が増えれば誰かの収入は減るのは必然です。

それとは別に、政府が支出を増やせば経済は成長していく、というのは人の価値観じゃないか?

という意見が、あります。

人の意見を他人に強要するのは良くないんじゃないか、と。

“政府の積極財政による経済成長”は“価値観”なのか?

これは、日本が経済成長をするべきかどうか、それをどう考えるかによります。

そして、多くの人は“価値観”という言葉の意味を良くわかっていません。

価値観の違いとは、水が半分入っていて、“半分しか入っていない”と考えるか“半分も入っている”と考えるかの違いです。

水があふれそうなのに、“水がまるでない”と言う。また水が全然ないのに、“水がいっぱい入っている”とは言えないわけです。

これは価値観ではなく、正解・不正解の問題です。

正解か不正解か

少し前に、去年か今年か忘れましたがある有名なテレビの討論番組で、3人の方が日本の経済について討論をしました。

番組を直接見たわけではないのですが、一人の方は、いわゆる政府が財政出動をして経済を成長させようと言った。

もう一人は新自由主義的な“それぞれが競争して稼ぐ力を付けることで経済が成長する”的な発言をしたそうです。

そこに三人目の方が、議員の先生だったそうですが、経済成長をしていこうという考えが古いんだ。これからは、昭和みたいに経済の成長ではなく、ひとりひとりが幸せになっていける国の形を探していくことが大切だ、と言って他の二人をいさめた。

ということがあったそうです。

価値観の違いとはその議員先生のような場合に使うわけです。

もし、経済成長に価値を置かないのであれば、“経済の成長ではない国家の別の形を探して行こう”というのは価値観としてはありかもしれません。

しかし、もし経済成長に価値があるとするなら、“自由競争で経済成長していこう”というのは単純に不正解なわけです。

経済という面で言えば、今の日本が経済成長してくには政府の財政出動しか選択肢はありません。

政府が経済に使う予算を少しずつ毎年増やしていくしかないのです。

繰り返しますが正解・不正解の問題です。

別の例えをしましょう。

偏差値とは50に決められていて、“全員が学力が上がれば、全員の偏差値が上がる”わけではありません。

誰かの偏差値が上がれば、誰かの偏差値は下がってしまうからです。

全員の学力が上がるというのは、勉強の向き不向きを考えなければ理屈の上では成り立つかもしれません。しかし、全員の偏差値が上がるというのはありえないわけです。

仮に全員の偏差値を上げたいと考えるならば、それはもう受験を受け持つ委員会なり組織が偏差値の仕組みを新しくするしかありません。

“今までは、偏差値を50の基準に分けていたけど、これからは55を平均としよう。”こんな風に、新しい偏差値のシステムを作るわけです。

“みんなが競争して稼ぐ力を上げていこう”とか、“企業がそれぞれ新しいことをはじめて売り上げを伸ばしていけば”日本の経済の成長につながる。そういった言説が普通にまかり通ってしまっています。

これは、先ほどの“受験生がみんな頑張れば、偏差値がみんな上がる”と言った考えに近いわけです。

みんなが宝くじを買っても儲からない

別の例えを言うなら、“宝くじを買えばみんな儲かる”というのと似ています。儲からなければ、それは“買い方が悪い”とか“新しいやり方で宝くじを買っていない”わけです。

ここまで読んでくださった皆さんはもうおわかりでしょう。宝くじとは、誰かが当たりを引いたら、別の誰かの外れくじから補填されているわけです。

なので、“みんながみんな正しいやり方で宝くじを買えば儲かる”と言うのは、これは単純に勘違いです。

では、なぜ“自由競争でみんなが稼ぐ力をつければ経済が成長する”という勘違いが日本にはびこっているのか?

私は日本人がこんな簡単な理屈がわからないほど愚かとは思えないわけです。

しかし、実際のところ一般人やインフルエンサー、芸能人にもこういう人は非常に多いわけです。

官僚や政治家までも、政治に至ってはそういう考えを主張の中心にしている人気政党もあるくらいです。

これは、多くの識者の方が言っているので割愛しますが、そうなってしまったのは過去の日本の歴史があり、それを紐解く必要があると言います。

ここでは、あえて経済に限って話しています。

つまり、今の日本で経済という点から見れば、政府の財政出動を増やしていくしか経済の再生や成長は望めない。選択肢はそれしか、ありません。

これは、価値観ではなく単純な現実です。

ただ、“GDPが増大して行くことが日本人にとって幸せか?”とか、“日本が経済成長したら諸外国との関係が変わるのでは?”という経済以外のポイントはあるでしょう。

そうした角度からなら、“価値観の違い”を論じるのは意義があるかもしれません。

とにかく、最後の議員先生は二人目の新自由主義的な方よりも、知性においてかなり正直な気がします。

今日は、これくらいにしようと思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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